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特集 戦後の建造物では国内初 広島・宮島の砂防施設 国の重要文化財指定へ

2020.10.16 17:38
 多くの歴史的な文化財が残る広島・宮島で、ある施設が新たに国の重要文化財に指定されることになりました。ただし、その施設は、戦後に造られたものです。宮島の自然や文化にかけた人々の思いを現在に伝える文化財…。島を訪れた人は、一度は目にしている施設です。

 標高およそ500メートルの弥山から、厳島神社へと流れる紅葉谷川です。まもなく訪れる紅葉シーズンは、秋の広島を代表する光景が国内だけでなく、世界中の人たちを魅了します。

 国の重要文化財に指定されることになったのは、紅葉谷川庭園内を流れる一部の区間です。

 長年に渡って宮島の観光を支えてきた末原義秋さんに案内してもらいました。

 「この場所が今回の重要文化財の指定か所の起点です。」(廿日市市 宮島支所 末原義秋さん)

 そこには、先人たちが取り組んできた世界遺産・宮島ならではの工夫が隠されていました。

 「ここは、自然の天然の『なめら石』。その上にせきを設けて、庭園砂防にした。このせきは大雨や掃除のときに開けたりする。水が流れるときに(なめら石に沿って)扇状に流れる。一方、こちらは、災害で流れた石を使って護岸を築いた。」(廿日市市 宮島支所 末原義秋さん)

 大雨が降った際、崩れやすい花崗岩でできたこの場所は、古くから土砂災害に悩まされてきたといいます。

 1945年9月17日、鹿児島県の枕崎市に上陸した台風は、強い勢力を保ったまま日本列島を縦断しました。

 被爆から、わずか1か月後の広島を直撃しました。廿日市市の大野陸軍病院では、土石流によって入院中の被爆者や診療にあたっていた京都大学原爆調査班の教授や学生など156人が亡くなりました。

 そして、対岸にある宮島も大きな被害を受けていたのです。

 「昭和20年の枕崎台風が起きた時に川が氾濫して、こちらの厳島神社を破壊したと。」(廿日市市 宮島支所 末原義秋さん)

 当時の記録では、紅葉谷川の上流部分でも大規模な土石流が発生。濁流とともに、土砂が下流の厳島神社にまで流れ込み、社殿は大きな被害を受けました。

 下流にとり残された巨大な岩は、高さ2メートル以上にもおよび、当時の壮絶な状況がわかります。

 戦前に一度、整備されたものの、土石流で破壊された砂防施設―。災害の発生から3年後、本格的な復旧作業が始まりましたが、▽土砂災害への対策と、▽史蹟名勝地の景観の両方を守るため、造園の専門家や地元住民などが結束し、特別な方針が練られました。

 「石と石とつなぎ目ですね。こういうところ。これをコンクリートの目に触れないように中で深く留めているんですね。そして、石の輪郭がわかるようにしてある。」(廿日市市 宮島支所 末原義秋さん)

 ▽現地の石材のみを使用し、絶対に傷つけないこと、▽樹木は切らないなど厳しい方針のもと、復興を進めてきたといいます。

 「昔は今みたいに機械があるわけではないから、人力作業でやっていた。三脚をつけたり、チェーンブロックをつけたり、苦労されていたと聞いている。」(廿日市市 宮島支所 末原義秋さん)

 完成まで2年の月日がかかり、のべ6万人あまりが工事に関わったともいわれています。戦後、作られた土木施設としては全国で初めての重要文化財―。末原さんも想いを巡らせます。

 「わたしもここにきて、50年になりますけど、戦後、復興施設として、当時の宮島を守るために庭園砂防にされた熱意をつくづく思っていたので。75年間守られていたのが、このたびの指定につながったのでは。散歩がてらになりますし、弥山登山道の入り口にもなりますので、今度は川を庭園砂防で作られたんだなというのを見ていただきたい。」(廿日市市 宮島支所 末原義秋さん)
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